正しさは、誰かが決めるものじゃない。あなたが選んだ、それが答え。

【落石事故 – 第2回】予算と命の天秤──制度は万能じゃない

あなたの“選択の日”のために

判決文の中に、こんな一文がある。

「防護柵を設置するとした場合、その費用の額が相当の多額にのぼり、上告人県としてその予算措置に困却するであろうことは推察できるが、それにより直ちに…賠償責任を免れうるものと考えることはできない。」

つまり、県は「予算が足りないから、落石対策はできなかった」と言っている。
裁判所はそれを「理解はできるが、責任は免れない」と判断した。

ここには、制度の“冷静さ”と“限界”が同時に現れている。

国や自治体には、限られた予算がある。
その中で、どこにどれだけ安全対策を施すか──それは、現場の判断に委ねられている。

でも、命は予算で測れるものではない。
たとえ防護柵の設置に多額の費用がかかっても、それが一人の命を守るものであれば、
「できなかった」では済まされない。

この判例は、そんな“制度の天秤”を静かに問いかけてくる。

予算と命。
現実と理想。
制度と感情。

私たちは、制度に守られていると思っている。
でも、制度は「予算の都合」で命の価値を後回しにすることもある。

そして、国や自治体は「できなかった」と言いながら、
その“できなさ”を理由に、責任を回避しようとすることもある。

この判例は、それを許さなかった。
「予算が足りないから仕方ない」とは言わせなかった。

それは、制度の中にある“静かな正義”だった。

でも──その正義が、いつも発動されるとは限らない。
裁判を起こさなければ、誰も責任を問わなかったかもしれない。
声を上げなければ、竹竿と赤い布のままだったかもしれない。

あなたの命が、予算の都合で守られないとしたら──
それでも、制度にすべてを委ねられるだろうか?

次回は、「国民 vs 国家──なぜ守るはずの相手と争うのか」へ。
制度の中で、国民が“敵”として扱われる構造を見つめながら、信頼と対立の境界線を探っていきます。

保険の話ばかりじゃ疲れますよね。かつて猫と暮らし、2.7万人と語り合った日々もありました。よかったら、そちらものぞいてみてください。

律空
この記事を書いた人
保険業界での経験を活かしながら、現在は別業界の会社員として働いています。 守秘義務を大切にしつつ、あなたにとって本当に役立つ情報を、ゆっくりと丁寧に届けていきます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

PAGE TOP