正しさは、誰かが決めるものじゃない。あなたが選んだ、それが答え。

【落石事故 – 第1回】竹竿に赤い布──落石と国家の責任

あなたの“選択の日”のために

昭和38年6月13日。
高知県の山間部、国道56号線。
幅員約6メートルの砂利道を、貨物自動車が走っていた。

その助手席に座っていた青年は、突然、命を奪われた。
山側の崖から、直径1メートル、重さ約400キログラムの岩が落ちてきたのだ。
斜距離77メートル──それは、誰もが「まさか」と思う距離だった。

事故のあと、青年の両親は国と県を相手に訴訟を起こした。
根拠は、国家賠償法第2条第1項と第3条第1項。
「営造物の設置または管理に瑕疵があった場合、国や自治体は損害を賠償しなければならない」という条文だ。

国と県はこう主張した。
「落石の危険がある場所は全国にある。完全な防止は不可能だ。」

でも、裁判所はこう判断した。
「この道路は、通行の安全性を欠いていた。
竹竿に赤い布をつけただけでは、注意喚起とは言えない。
防護柵も、金網も、落石除去も、通行止めも──何もされていなかった。」

そして、こう続けた。
「国家賠償法における“瑕疵”とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいう。
その責任に、過失の有無は問わない。」

つまり、国や自治体が「悪意はなかった」「予算が足りなかった」と言っても、
安全性が足りなければ、責任を負うべきだということ。

この判例が教えてくれるのは、制度の冷たさではない。
むしろ、「制度の中に、静かに人を守る思想がある」ということだ。

ただし──その思想が、現場で実行されるとは限らない。
竹竿に赤い布。それが、現場の“限界”だった。

私たちは、制度に守られていると思っている。
でも、制度は使われ方次第で、守るものにも、争う相手にもなる。

この判例は、そんな“制度の使い方”を静かに問いかけてくる。

あなたの通る道に、竹竿と赤い布しかなかったら──
それでも、守られていると言えるだろうか?

次回は、「予算と命の天秤」について考えます。
国が「予算措置に困却する」と主張したことは、責任逃れなのか、それとも制度の限界なのか。
命の価値と制度の現実、その間にある“静かな葛藤”を見つめていきます。

保険の話ばかりじゃ疲れますよね。かつて猫と暮らし、2.7万人と語り合った日々もありました。よかったら、そちらものぞいてみてください。

律空
この記事を書いた人
保険業界での経験を活かしながら、現在は別業界の会社員として働いています。 守秘義務を大切にしつつ、あなたにとって本当に役立つ情報を、ゆっくりと丁寧に届けていきます。

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