正しさは、誰かが決めるものじゃない。あなたが選んだ、それが答え。

「あいつ車返さねーけど、警察に言うのだるっ」──それ、責任ないってマジ?【第2回】(運行供用者責任)

あなたの“選択の日”のために

今回の判例を理解するために一番重要な法律用語「運行供用者責任」について説明していきます。

法律用語といっても、堅苦しく考える必要はありません。

ものごとは全て、意外なほどシンプルに構築されているけど、建前をまもったり、結論から先に決めたりするからわかりづらくなってくると私は思ってます。ではまず、こちら・・・

運行供用者責任ってなに?

事故を起こしたのは運転していた本人。でも、車を持っていた人にも責任がある──そんな制度が「運行供用者責任」です。

ざっくり言うと…

自動車事故で人にケガをさせたとき、運転していた本人だけでなく、

その車を「使っていた人」「管理していた人」「利益を得ていた人」も責任を負うというルールです。

これは、自動車損害賠償保障法(自賠法)第3条に書かれています。一応載せておきます。

自動車損害賠償保障法

第3条(自動車損害賠償責任) 自己のために自動車を運行の用に供する者は、その運行によつて他人の生命又は身体を害したときは、これによつて生じた損害を賠償する責に任ずる。ただし、自己及び運転者が自動車の運行に関し注意を怠らなかつたこと、被害者又は運転者以外の第三者に故意又は過失があつたこと並びに自動車に構造上の欠陥又は機能の障害がなかつたことを証明したときは、この限りでない。

どうしてそんな制度があるの?

・ 被害者が泣き寝入りしないように

・ 加害者が無保険だったり、逃げたりしても、車の持ち主に請求できるように

・ 車を使って利益を得ている人が、リスクも引き受けるべきという考え方

「運行供用者」とは?

裁判では、次の2つの要素で判断されます:

要素意味
運行支配車をコントロールできる立場か鍵を持っている、貸し借りを決められる
運行利益車を使って得をしているか営業車、家族の送迎、趣味のドライブなど

→ この2つがあると、「運行供用者」とされて責任を問われる可能性があります。

でも、こんなときはどうなる?

  • 車を盗まれたら? → 支配も利益もない → 責任なし
  • 友人に貸したら? → 支配や利益が残っていれば → 責任あり得る
  • 貸した相手が返さない? → 返還要求の仕方や通報の有無がカギ

今回の判例のポイント

この制度があるからこそ、「Yは運行供用者か?」が争点になった。
でも、Yは不良グループの親分で、車を貸した相手も子分。
返してもらえず、でも警察に言うのは「だるい」──
その結果、事故が起きた。

裁判所は「責任なし」と判断したけれど、
その理由が“欺罔”と“制御不能”という制度的な言葉で処理されていた

時代の変遷と運行供用者責任

運行供用者責任の範囲は、時代によって少しずつ変化してきました。

昭和の判例では「黙認」「名義貸し」でも責任が認められることが多く、制度の守備範囲は比較的広めでした。

しかし平成に入ると、特に平成9年のこの判決あたりから、「支配・利益」の要件を厳格に解釈する流れが見られます。

これは、制度の予測可能性を守るために、責任の範囲を限定しようとする動きとも読めます。

制度の予測可能性とは?

制度の予測可能性とは、「このルールならこう判断されるよね」という、いわば“安心感”のこと。

もし毎回バラバラな判断がされると、誰もルールを信じられなくなる。

裁判所はそれを守るために、個別の事情をあまり見たくない。

「欺罔されたから責任なし!」という抽象ロジックで処理するのは、制度の一貫性を守るためでもある。

運行供用者責任と事故件数の関係

運行供用者責任の範囲は、時代によって少しずつ変化してきたと述べました。

時代によって少しずつ変化するのはどんな分野でもあるあるですが、運行供用者責任の範囲が変遷してきた理由はなんだとおもいますか?

私は事故件数の変遷だと思っています。

交通事故件数の推移(昭和〜令和)
年代発生件数備考
昭和45年(1970年)約981,000件車社会の急速な進展、制度未整備
平成15年(2003年)約948,000件ピーク期、移行減少傾向へ
令和5年(2023年)約300,000件約70%減少。交通安全施策の成果

※死者数も昭和45年の約16,765人から令和3年には約2,636人へと約6分の1に減少。

この変化が意味すること

・ 昭和期は「事故多発 → 被害者救済重視 → 運行供用者責任の広い適用

・ 平成以降は「事故減少 → 制度の予測可能性重視 → 責任範囲の限定化

・ 裁判所も「個別斟酌より抽象的処理」を好むようになり、責任認定のハードルが上がった

→つまり、「親分だけど、通報してないのはだるかっただけ」のような実態は、制度の抽象性の中で処理されてしまう。

裁判所は、問の誠実さより、制度の予測可能性を優先した。

ちなみに、平成9年判例が出た当時、事故件数はまだ増加傾向にあったけれど、
増加の勢いは鈍化していて、「そろそろ頭打ちかも」という空気が漂い始めていた。
裁判所はその空気を先取りして、「広げすぎた責任範囲を整えておこう」という制度の整備フェーズに入ったのかもしれない。
つまり、制度の抽象化は“逃げ”ではなく、“整えフェーズ”として始まった──
その空気が、今回の判例にも静かに流れ込んでいた。

この流れを踏まえると、今回の平成9年判例が「責任なし」とした背景には、

制度の抽象化と予測可能性の優先という“時代の空気”があったと読めます。

つまり、事故件数の変遷は、制度の骨格を変えるほどの影響を与えていた──

出典:

法務省資料 PDF:交通事故の発生件数・死傷者数の推移(昭和45年〜令和5年)

内閣府 令和4年交通安全白書:道路交通事故の長期的推移

では、その制度の骨格が変わったとき、誰の責任が消え、誰が守られたのか?

次回は、実際の判例を読み解きながら、その問いを深掘りしていきます。

保険の話ばかりじゃ疲れますよね。かつて猫と暮らし、2.7万人と語り合った日々もありました。よかったら、そちらものぞいてみてください。

律空
この記事を書いた人
保険業界での経験を活かしながら、現在は別業界の会社員として働いています。 守秘義務を大切にしつつ、あなたにとって本当に役立つ情報を、ゆっくりと丁寧に届けていきます。

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