論理の変遷と社会的背景の呼応【第3回】(論理の変遷)
論理の変遷と社会的背景の呼応【第2回】(ドライブクラブとの比較)
車を貸した相手は、不良グループの一員──というか、貸した本人もその親分でした。
約束の返却日を過ぎても車は戻らず、でも「警察に言うのはだるい」という理由で放置。
その結果、事故が起きてしまいます。
裁判所は「責任なし」と判断しました。でも、その理由をよく読むと、どうも違和感が残ります。
制度は「欺罔」「制御不能」と処理したけれど、実態は「警察届出のだるさによる黙認」だったのでは?
制度の予測可能性を守るために、個別の社会的責任が免責されることは許されるのか?
そんな問いが、不良グループの関係性をめぐって、制度の骨を静かに叩いています。
いつものように、<事実の概要>と<判旨>(ジュリスト No.150、平成11年発行より)を載せます。読むのが大変だよという方は、下の図解でわかるようになっておりますので、そちらをみるだけで、趣旨が確認できます。
【判例識別情報】
最高裁平成9年11月27日第一小法廷判決
(平成6年(オ)第1860号損害賠償請求事件)
(判時1626号65頁、判タ960号95頁、交民集30巻6号1559頁)
原判決(東京高判平成6・6・15交民集27巻3号555頁)によれば、事実関係は次のとおりである。
(1)YとAはかつて同じ中学の不良仲間であり、Yが二歳年長でリーダー格、Aはその子分であり、卒業後も同じ暴走族に入って交際を続けていた。Aは盗んだ車で事故を起こし、少年院に送致されたことがあった。
(2)Yはその所有車をAから急用があるので、貸してほしい、二時間で返すと頼まれ貸与した。
(3)しかしAは約束どおり返さず、時折Yに電話してきてはもう少し貸してほしいなどとその場しのぎの発言をしていた。
(4)これに対し、Yは用事が済んだらすぐ返せ、いいかげんにしろ、早く返せなどと言っていたものの、Yの方から積極的にAに連絡をとったり、警察に届けるなどの措置はとらなかった。
(5)事故は貸与から一か月あまり後に、Aが飲酒の上暴走してセンターラインを越え対向車と正面衝突させ、その搭乗者Bを死亡させたものである。
これについてBの遺族XらがY・Aに対し、損害賠償を求めたのが本件であるが、その第一審(静岡地沼津支判平成5・10・1交民集27巻3号559頁)は、AのみならずYについても次のとおり責任を認めた。
「Yは……加害車両の所有者として、社会通念上自動車の運行が社会に害悪をもたらさないように監視・監督すべき立場にあった者といえよう。そして、前記のとおり……Aに対して『被害届を出す』または『被害届を出した』と言って強く返還を求めれば、Aが加害車両を返還した可能性は十分にあると考えられるから、加害車両の運行につき事実上支配、管理することができたものと評価できる。そうすると、Yは、加害車両の運行について運行支配がなかったとは言えない」。その、控訴審たる原判決(東京高判平成6・6・15前掲交民集555頁)は次のように述べてYの責任を否定した。「右のような事情に照らせば、Yとしては、Aから貸借名義で加害車両をだまし取られたも同然で、約束の二時間を経過した後の加害車両の運行は、全くYの意思に反するものであり、かつ、本件事故当時においては、最早、YがAに対して加害車両の運行を指示、制御し得る状況になかったものと認められる。」
上告棄却。
「原審の確定した事実関係によれば、
(1)本件自動車の所有者であるY〔被上告人〕は、平成3年12月10日、友人であるAに対して、二時間後に返還するとの約束の下に本件自動車を無償で貸し渡したところ、Aは、右約束に反して本件自動車を返還せず、約1箇月間にわたってその使用を継続し、平成4年1月11日、本件自動車を運転中に本件事故を起こした、
(2)Aは、本件自動車を長期間乗り回す意図の下に、二時間後に確実に返還するかのように装ってYを欺き、本件自動車を借り受けたものであり、返還期限を経過した後は、度々Yに電話をして、返還の意思もないのにその場しのぎの約束をして返還を引き延ばしていた、
(3)Yは、Aから電話連絡を受けた都度、本件自動車を直ちに返還するよう求めており、同人による使用の継続を許諾したものではなかったが、自ら直接本件自動車を取り戻す方法はなく、同人による任意の返還に期待せざるを得なかった、というのであり、以上の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯することができる。そして、右事実関係の下においては、本件事故当時の本件自動車の運行は専らAが支配しており、Yは何らその運行を指示、制御し得る立場になく、その運行利益もYに帰属していたとはいえないことが明らかであるから、Yは、自動車損害賠償保障法三条にいう運行供用者に当たらないと解するのが相当である。右と同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。」
| 項目 | 内容 | 評価の趣旨 | 問との接続 |
| 車の所有者 | Y(被告) | 運行供用者か否かが争点 | 制度的責任の起点 |
| 貸与の経緯 | Yが知人Aに車を貸す(返還約束あり) | 一時的な運行支配の放棄 | 支配の継続性が問われる |
| 返還要求 | 約束日時を過ぎても返還されず、Yは返還を求めた | 意思表示はあるが、実効性に乏しい | 黙認・放置と評価される余地 |
| 実効的行動 | Yは警察に届け出せず、直接回収もせず | 制御可能性の放棄とみなされる可能性 | 「やるべきことをやっていない」構造 |
| 事故の発生 | Aが事故を起こし、Xが被害者に | 運行供用者責任の発動条件 | 被害者救済との接点 |
| 控訴審の評価 | Aによる欺罔→Yの意志に反する運行→制御不能 | Yは運行供用者に該当しない | 制度の予測可能性を優先した論理構成 |
| 判決の結論 | Yに自賠法3条の責任なし | 社会的責任の免責 | 問いの誠実さが犠牲になった瞬間 |
不良グループのリーダーという社会的立場。返却義務を破った子分からの電話。そして警察に届け出ないという所有者の怠慢。
これらがすべて最高裁によって「責任なし」と断罪されたとき、多くの人は「そんな都合のいい話が通るのか」という違和感を覚えるでしょう。
裁判所が、この個別の社会的責任を「責任なし」と処理したロジックの核にあるのが、自動車事故の賠償責任の土台である自賠法第3条「運行供用者責任」という制度です。
「車を所有・管理する者が、なぜ、運転者とは別に責任を負うのか?」
次回は、この制度の理念と範囲を徹底的に解説します。特に、所有者の責任の有無を分ける「運行支配」と「運行利益」という二大要件が、いかにして所有者の責任を広げ、そして今回のように免責するロジックを生んでいるのか。この土台を理解することで、最高裁が「欺罔」という言葉で何を隠蔽しようとしたのか、その真の構造が見えてきます。