論理の変遷と社会的背景の呼応【第3回】(論理の変遷)
論理の変遷と社会的背景の呼応【第2回】(ドライブクラブとの比較)
今回の判決においては、刑事と民事の差異、証明責任、制度の非対称性——多くの理論を持ち出して語る。だが、読み進めると、制度の骨が語られていないような違和感が残る。
この違和感の正体を解明していくことにする。
まず、1点目、自車前方に障害物がある場合自車が一時停止し、対向車に道を譲るのではないかという点だ。
・ **片側1車線の道路(中央線あり)**では、障害物がある側が停止。
・ 山道や坂道では、例外的に「上り車両が優先」されることがあります。
・ 障害物を発見したら、まず対向車の有無を確認。
・ 対向車がいる場合は、早めに停止して道を譲る。
・ 無理な進行は事故の原因になるため、安全確認と譲り合いが最優先。
これの原則が適用されるのであれば、Xの主張は全くもって成立しない。しかし、この点判例、解説ともに一切記載がない。
記載すれば、制度の沈黙が破れる。だから語られない。語られないことが、構造を動かす。詳細は、次頁で説明する。
そして2点目。
突然で恐縮だが、ここで自動車保険における被害事故について説明させていただく。
「被害事故」・・・交通事故などで自身に非がなく、相手の過失によって損害を受けた事故のこと。相手方が全額賠償するタイプの事故。
これに関連し、鉄板の被害事故3選を紹介する。
被害事故(もらい事故)を別の観点から述べた記事はこちら→【もらい事故の孤独:保険会社が沈黙する理由】
1.停止中の被追突
2.駐車枠内に駐車中に接触された
3.センタラインオーバーした相手車に接触された(判例タイムズ38【150】参照)
この度の事故は1点目と考え併せても、まごうことなき上記3番に該当する事故であり、Xが全額賠償しなければならないのは当然と考える。しかし、判例にはその点一切記述がない。Xは自分がセンターラインをオーバーしているにも関わらず、制度の沈黙に乗じて、語られない責任を押し返す。Xの発言は、構造の盲点を突いている。
上記2点があるにも関わらず、過失割合が五分五分となっている点。これが主な違和感の正体であると考える。
では、なぜこのXのトンデモ発言が通るようになってしまうのか、すべてはここに集約される。
「Yの無免許運転」である。
これにより、X全部賠償が五分五分にまで持ち直したと考えられる。
しかしこれについても判例には一切記述がない。
運転操作としてはXが悪い。だがYは無免許だった。制度は「無免許」という構造的瑕疵を重く見る。過失の天秤は、行為の軽重ではなく、証明の可否と制度の推定で傾く。Xは運転で負け、Yは制度で負けた。五分五分とは、制度と行為がすれ違う場所。語られない責任と語りすぎた操作が、そこで交差する。
ではなぜ、五分五分という結論の内部に潜む単純構造について、判例と解説は「沈黙」で覆い隠すのか?それは、「無免許」を公式に過失相殺の根拠とする危険な前例を避けるためではなかったか。次回、この「制度防衛」のロジックに深く切り込みます。