正しさは、誰かが決めるものじゃない。あなたが選んだ、それが答え。

【落石事故 – 第3回】国民 vs 国家──なぜ守るはずの相手と争うのか

あなたの“選択の日”のために

この判例で、最も静かに衝撃を与えるのは、
「国民が、国家と争っている」という構図かもしれない。

助手席に座っていただけの青年が命を奪われた。
その両親は、国と県を相手に裁判を起こした。

それは、泣き寝入りを拒んだ「選択」だった。
そして、制度の中で“道を開く”という、静かな革命だった。

でも──その選択の先にあったのは、
「守ってくれるはずの国家が、責任を否定する」という現実だった。

国は言った。
「落石は防ぎきれない。予算も限られている。自分たちに過失はない。」

その言葉は、制度の冷たさを象徴していた。
そして、国民が“敵”として扱われる瞬間だった。

私たちは、国家に守られていると思っている。
でも、制度の中では、国家は「責任を回避する主体」でもある。

この判例は、そんな“信頼と対立の境界線”を静かに浮かび上がらせる。

国家は、常に味方とは限らない。
制度は、常に守ってくれるとは限らない。

だからこそ、原告の「選択」は意味を持つ。
裁判を起こすという行為は、制度の中で声を上げること。
そして、制度の“正義”を引き出すこと。

この判例では、裁判所がその声に応えた。
「過失がなくても、安全性が足りなければ責任を負うべきだ」と。

それは、制度の中にある“静かな正義”だった。
でも、その正義は、選択しなければ現れなかった。

あなたが何も悪くないのに、国家と争うことになったら──
それでも、声を上げる「選択」ができるだろうか?

次回は、「制度の冷たさと、心の備え」へ。
制度が感情を持たないからこそ、私たちがどう備えるか──その視点を探っていきます。

保険の話ばかりじゃ疲れますよね。かつて猫と暮らし、2.7万人と語り合った日々もありました。よかったら、そちらものぞいてみてください。

律空
この記事を書いた人
保険業界での経験を活かしながら、現在は別業界の会社員として働いています。 守秘義務を大切にしつつ、あなたにとって本当に役立つ情報を、ゆっくりと丁寧に届けていきます。

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